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2023.10.29
金透小学校 創立150周年
卒業以来、足を運ぶことのなかった金透小学校が創立150周年を迎え、昨日記念式典に参加してきました。
不思議なもので、数十年ぶりに母校の校歌を耳にしたというのに、昔の記憶とともに自然と歌えてしまう。
幼き頃はソノ歌詞の意味が腹落ちせずとも、ふと振り返ってみると、知らず知らずのうちに自分の生き方に影響を与えていたのかもしれないなと、ふと感じた次第。
「立志・努力・必成」の「金透精神」。
改めて、その歴史や伝統を守り紡いでくださっている教職員の皆さんや多くの関係者の皆さんに、深く感謝すると共に、大切な気づきを得る良い機をいただきました。
明治6年、「盛隆舎」と称し小学教育を開始、翌年「郡山小学校」に改称。いわずと知れた、郡山で最も古い歴史を持つ小学校。明治9年明治天皇に随行し、来校した木戸孝允により命名された校名「金透」は、「陽気發處金石亦透、精神一到何事不成<精神を集中して事に当たれば、どんな難しいことでも成し遂げられないことはない>」に由来する。
来年で、わたしたちも創業130周年を迎えます。
この地を築いてきた先人たちに深く感謝するとともに、今後もより一層地域のために貢献する事を心に刻み邁進して参ります。
弊社HP「地域貢献」に記しておりますが、「株式会社蔵場の由来と歴史」をココに紹介させていただきます。(株式会社蔵場 創業100周年記念誌より)
江戸時代、郡山は二本松藩領の宿場町として栄えました。当時二本松藩内安積三組(郡山組13ヶ村・大槻組14ヶ村・片平組11ヶ村)の代官屋敷は陣屋に置かれ、毎年秋の穫り入れが終わると、安積三組の年貢米は郡山に運ばれ「蔵場 (現在の金透小学校がある場所)」に納められました。
豪壮な米蔵が数十棟並ぶこの地は、「御蔵場」として市民に親しまれました。この蔵場の町で、明治27年に「太田銃砲火薬店」として創業し、前身である(有)郡山銃砲火薬店として改組移転した弊社。昭和の終わりに銃砲業から撤退した事により、名が体を表さなくなっておりました。
先人達の労苦に思いを起こし、地域社会への貢献をより一層深めるため、1994年の創業100周年を機に「株式会社蔵場」として社名及び組織を変更しました。
(RK)