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2022.03.18
再来
一昨日夜分の地震は、2011年3月11日を彷彿させる様な揺れでした。
あの時は、南北の揺れでしたが、昨年と今回の地震は東西の揺れ。
散乱し具合は、棚の向きによって、その被害状況が大きく変わります。
此度は一部事務所の壁が破損し、さまざまなモノが棚から落ちる。
重量棚が大きくずれるなどなど。
地震大国日本。
先週金曜日、東日本大震災で被災した私たちは、あっという間に11年の月日が経った事を改めて感慨深く思い返した。
そう、3月11日の天気は澄みわたる青空で春の陽気に包まれる天気でした。
当時会社事務所の店頭で、来店されていたお客様とお話をして、もうすぐ桜の時節ですね。なんて会話。
忘れもしないあの時間「2時46分」の数分前、突然あたりは大吹雪と化す。
それからマグニチュード9.0という、この世の終わりと思えるほどの地のウネリを体で受け止める事となった。
原発の水素爆発の影響で主たる運送会社やガソリンを積んだタンクローリーは、福島県境から進入禁止となり、物資や燃料が入ってこない異常事態となる。
不都合な真実なのか、メディアがその状況を大きく報道する事は無かった。
色んな意味で、今のウクライナの状況に似通っていた、そんな気がします。
当時を振り返ると、責任を放棄し迷走し続けた当時の政権とは違い、石原前東京都知事が下した英断を、わたしたちは忘れることできない。
また、全国各地から福島応援隊として消防・警察・自衛隊の多くの皆さんは、多大なるサポートやアクションをこの地に注いでくれました。
郡山市災害ボランティアに当時参加した私でしたが、西日本から応援に駆けつけてくれたボランティアの皆さんと出会えた事で、大きなエネルギーを与えてもらいました。
人と人とのつながり、思いやり・扶け合いのココロ。
どんな時も大切にしたいですね。